スモロログ1 - 4/5

500字練習

カーテンを開ける。ぎっしりと建物が並ぶ画面の上部はまだほとんど藍色で、細い切れ間がうっすら白んでいる。捲れたTシャツをスウェットのゴムに突っ込みながら、スモーカーは掃き出し窓を右へ滑らせた。暮らしが動き出す前の、本日の空気が顔を覆い、あばらの横を、膝の間を、通り抜ける。寝ぼけた足がつっかかると痛いから、親指の爪先がサンダルの先に通るまで見張って、二歩、ベランダの手摺に肘をつく。
朝のルーティーン。よれたソフトパッケージを叩いて、朝日より先に煙草のフィルタ―を上げる。もっと手のかかるものを吸うこともあるが、平日の朝は手っ取り早さが優先だ。機械に油をいれるように、ジッポから立ち上る橙に先を乗せ、一息に肺の底まで吸い込んで吐き出す。夜の名残を惜しむ紫煙を見送り、窓を開けたままだったと振り返って立ち尽くす。もう閉めなくてもいい。ここに出る必要すらなかった。同じことを繰り返して三日。部屋の中から煙たいと咎める声はもうないのだった。
ソファの左側に座ること、シェーバーの横にピアスを置くスペースをあけること、ブランケットを一枚余分に、足元にたたんでおくこと。習慣になるまでにかかった分だけ、癖が抜けるのにも、まだ。

 

500文字スモロ「声」

妙ちきりんな箱があった。テーブルの上だ。その日、スモーカーは不在のようであった。飲みかけのコーヒー、書きかけのペン。灰皿に置かれた葉巻が細々と煙を立ち上らせ、何もかも途中のままの執務室を見るに、呼び出されたといったところか。
応接用のローテーブルにそれはあった。ローの両手で抱えられるかどうかという大きさの黒い立方体は、こちらを向いた一面だけが映像を流している。映っているのは部屋の主だ。ローは首を傾げた。電伝虫が見当たらないからだ。海軍のプロモーションだろうか。スモーカーは険しい顔で口をぱくぱくさせるばかりで声が聞こえてこない。民間向けにしては仏頂面すぎる。思わず笑うと、まるで見ているかのようにますます顔が歪められた。むっとして見続ける。青筋が浮かんだ顔は段々怒鳴っている様相になり、突然凪いだかと思うと、不遜に笑って、中指を立てた。

果たして、ローが刻んだ箱から現れたのはスモーカー本人であった。なんでも、あることをしないと出られない空間に閉じ込められていたという。詳しく、と促せば。
「てめェの悪口を言わねェと出られない部屋」
きまり悪そうな声を聞いて安堵したような、聞き捨てならないような。

 

500文字スモロ「夜の海」

能力者の癖に膝まで浸かってローが立っている。月に照らされた海は紺が透けていた。お前も来いよと差し出された手をスモーカーが取る前に、ローは後ろへ足を引く。一歩一歩、暗く深い方へ。そこはおれたちには行けない場所だ。追いかけて波に踏み入れた足が鈍る。届かないと思ったとき、とぷんと細身が沈んで、掴もうと伸ばした腕ごと鼻の中まで一気に飲まれた。

がばりと起き上がる。夢だ。今朝シーツを替えた。暑くなったからと、冬用の柔らかな厚みから、さらりとした手触りへ。濃紺のその上でローが寝返りを打つと、似た色の髪が擦れてざざんざんと波の音がするようになった。スモーカーは詰めていた息を吐いた。隣で眠っていた小さな頭がざざんざんとこちらを向く。「眠れねぇの?」刺青の描かれた腕が蛇のように伸びてくる。大丈夫だ、お前の体温を肌に当てれば眠れる。そう思ったのに、スモーカーの頭を引き寄せた両腕は触れた途端にびしゃりと潮の香りに爆ぜた。

がばりと起き上がる。夢だ。水をかぶったように汗をかいたスモーカーは、シーツを替えようと決めた。ローが夏用を出してくれたはず、と首をまわせば、美人な般若に夢の色をしたリネンで思い切り顔を拭かれた。

 

500文字スモロ「観葉植物」

気持ち悪い奴だなと思った。部下に付き合って入ったという花屋で植物を買ってきたスモーカーは「お前に似ていた」などと抜かした。黒い葉がふさふさと生い茂った鉢植えは、ローの定位置であるソファを退かして、日当たりのいい場所に腰を据えた。
翌日からローの男は、起きるなり寝癖もそのままに水をやった。大きな手にまるで似合わない霧吹きを持ち、一枚ずつ葉を撫でては毎日吹きかける。
「今日はハネてんな、ロー」
話しかけるのを初めて見た時は目を剥いた。揶揄っているのかと腹を立てたが、男の目はまっすぐ植物に向いていた。同じ光景を何度か見るうち馬鹿々々しくなった。
やがて紫の花がいくつも咲き、枯れて、黒い実がついた。その頃には、男は朝晩茂みに鼻を突っ込んで匂いを嗅ぐようになっていた。すっかり日陰が定着したソファで寛ぐローの隣へ男がくることはなくなった。
実が赤くなった日、葉の香りを吸い込んだ男は恭しくそれに口付け、名を呼んで、つるりと含んだ。舌の上で実を潰したスモーカーの顔は歪んだ。ローはそれにひどく欲情した。
いくらか前の話だ。ブラックパールはそのうち枯れた。日の当たるソファに腰かけた男の腿に頭を乗せて、ローは今日もうたた寝をする。

―観賞用トウガラシ/ブラックパール/花言葉は「悪夢が覚めた」―

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