スモロワンドロワンライ「夢/賭け事」
いつもと違うのは、厚いカーテンが窓をすべて覆っていることと、それから。
スモーカーは煙とともに深いため息を吐きながら目の前に座る男たちを眺めた。
執務室には本日も決済を待つ書類と吸い殻が積み重なっている。だが平生ならば、煙が染みついたソファに長い足を悠々と伸ばして寝転び本を読む海賊が、どうしたことか、三人での訪問ときていた。当然寝転ぶスペースはなく、きっちり並んで腰かけている。珍しい佇まいに狼狽したのは最初だけで、よく見れば真ん中の男は足を大きく割り開いているし、左の男はそれを鬱陶しそうにしながら組んだ両足を反対側へ流しているしで行儀の悪さはいつも通りだった。
一人だけまっすぐに足を下ろしている右側は、床に届かない靴先をぶらぶらと揺らしている子どもだ。スモーカーは海賊トラファルガー・ローの幼少期を知らないが、真ん中に座る男と揃いの特徴的な帽子と面影、子どもらしからぬ眼下の隈から、おそらくそうであろうと予測される。
がに股で座している正面の男は、懐かしい帽子を引っ張り出したのか、スモーカーがこの若造をまだ捕縛対象の一人としてしか認識していなかった頃、かつてルーキーが集結した、かのシャボンディ諸島での姿であった。そして左はといえば、帽子はなく、頬がこけたいっそうシャープな輪郭に、見慣れた顎髭とところどころ口髭を生やし、両目を包帯で覆ったトラファルガー・ローだった。目元がわからないため赤の他人ということも考えられたが、そうであれば、こうして並ぶ意味などない。口元の印象からしてスモーカーより年を重ねているかもしれない。
「賭けをしようか、スモーカー」
右のローが姿に似合わぬ青年の声で話した。ぎょっとして浮き上がりそうになった眉をぎりぎりで留めて眉間に力を込める。
「三十億の海賊様はずいぶんと暇なもんだな。どういう趣向か知らねェが、見ての通りこちらは仕事が溜まってる」
何の悪魔の実だ。
眼光に苛立ちを乗せてやったが子どもは肩をすくめただけだった。小さな手で金色のコインを遊ばせている。カーテンが引かれているということは、むやみやたらと人に見られたい状況ではないのだろう。同じく最悪の世代と称される海賊の中には他人の年齢を意のままに操る女がいる。出奔した元海兵にもそういう類の能力者がいたのではなかったか。
「まぁそうつまんねぇこと言うなよ。ちょっと賭けでもって言っただけだぜ」
「手を貸してほしいなら素直にそう言え」
「手を貸す?誰が誰に?」
「違うのか」
「なんで海賊が海兵に手を貸してもらわなきゃならねぇんだ」
尤もらしいことを言うのは真ん中だ。こいつが話す方がしっくりくるが、態度がいけ好かない。足と同じくらい長いのではと錯覚するようなひょろりとした腕は腿に肘をついて両手を組み、やはりその指先でコインをくるくると弄んでいる。
こちらを揶揄う表情と軽い口調、暗い室内の淀んだ空気が釣り合わない。ローがただ遊んでいるだけなら付き合う必要はなかった。また書類が遅れてたしぎを困らせるだけだ。
「コインを投げて、表か裏か、当てた奴がほんものの俺だ。それ以外は消える」
「待て、その賭けは成立しない。表と裏しかないのにお前が三人いる。そのうえ三枚すべてが表ということもあり得る。俺が当てたら三人ともほんものだってのか」
そして当てたところで何も解決しない。海軍の把握している情報であれば、そしてスモーカーが本人から聞いたところであれば、ローは二十六歳だったはずだが、どの男も該当しない。何もかもがちぐはぐだ。
しかし子どもはおかしそうに笑った。
「その時はそうだったってことだろ」
「さては全員偽物か、ほんものはどこにいる」
「さぁな」
左の男はしゃべらない。コインを挟んだ手を組んだ膝の上に乗せているだけ。隠れた目元も乾いた口元も、何も語らない。
真ん中の男がしゃべり続ける。
「なぜ俺がお前の手を借りにここへ来たと思うんだ。なぜお前は当たり前のように俺の前に座っている。俺は海賊だ。最初から最後まで、すべて嘘ってこともあるだろう。なぜまともに話を聞いている?」
まったくもってその通りだった。この男がトラファルガー・ローであるという確証はない。思い出すのも苦々しいが、アラバスタで捕らえたバロックワークスの社員の中に、顔をコピーできる能力者だって存在した。
「ずいぶんと聞き分けの良い野犬だな。だが誰に対して聞き分けるのかはもう少し選んだ方がいいんじゃないか」
二十四歳は心底腹立たしい男だった。だが人を煽るその様には懐かしささえ覚える。座り方や目つきや仕草まで、コピーできるものだろうか。
葉巻が吸いたかった。どうしてだか先ほどから口が留守だった。灰皿にはあんなに吸った跡が重なっているのに。今は吸うなと言われたからだ、いったい誰に。
「さぁスモーカー、賭けといこうじゃないか」
三人が手の甲を出した。
「まだやるとは言っていない」
「ああ、言ってなかったが、お前が外した場合はほんものの俺も消える」
「待て、賭けるものがでかすぎる」
「どうして?海賊がひとり消えるだけだ」
「条件の再考を求める、分が悪すぎる」
「じゃあお前が消えるんだな、基地ごとみじん切りにしてやるよ」
子どもの足の振りがどんどん大きくなっていた。左の男が今にも親指でコインを弾こうとしている。
「待て、ロー!」
「海兵のお前を待ってやるいわれはねぇな」
「じゃあ個人的な頼みだ待ってくれ」
「なぜ俺がお前の個人的な頼みを聞かなきゃならねぇ」
「なぜってお前は俺の……」
この場で言ってはいけないことを言おうとして躊躇った。ここは基地内だ。本人か確かでないこの顔に言ったところで意味もなかった。スモーカーは焦っていた。全部ほんものでなければただの質の悪い能力者であるだけだというのに。
この賭けに乗ってはいけない気がした。偽物だったとしてもローの姿形をしたものが消えてしまう想像に耐えられなかった。
「時間切れだ、スモーカー」
ピン、と爪が硬質な物をはじく音が三つ重なった。
「ROOM、シャンブルズ!」
勢いよく打ち上がるコインにくぎ付けだった。まったく別の方向から三十億の声と青い膜。晴れ間がのぞいたようだった。つまり三人ともほんものではない。体を煙にすると目の前の男たちが掻き消え、代わりに現れたのはかつて使われていたクッションと、毛布と、本。
どこから、と振り向く間もなく頸椎に衝撃を受けた。後ろだ。攻撃を受けている。判断できたときにはもう視界が歪んでいた。「なぜ意識が戻った?」知らない声と明らかな敵意。ローはどこに。「スモーカーさん!」飛び込んできたのはたしぎだった。
「申し訳ありません」
部下の声とともに潮の匂いがした。窓を開けたのか。
「軍医の手配したグリーフケアだったのですが……申し訳ありません。例の海賊の死体の件以降、スモーカーさんをよく思わない方は多く……いえ、軍医は昔からの、信頼できる方です!はい、現在は点滴で落ち着いています、命に別状はありません……」
細い視界は眩しい。ぼやけたカーテンが揺れている。高く積んだ紙の何枚かが擦れて音を立てる。窓の向こうは水色の空と、ところどころ流れる白い雲。似たコントラストだが、煙でもなければ、あのトンデモ膜でもない。たしぎ、吸い殻の山が崩れそうだ。
あれはどこから聞こえたのか。白猟、と問いかける声はない、呼吸をするにも、吸い込む煙も、ない。
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