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ふと目が覚める。目の前に大きな手が投げ出されていた。体中が重い。
目線くらいしか動かせるものがないが、部屋が暗いせいかうっすらとしか見えない。何か聞こえないかと耳に集中すると、窓の外から雨が風に押し流されながらたたきつけるように降る音が聞こえた。時々カーテンの隙間からピカと光りが見えて、遅れて心臓に響く轟音が届く。
エアコンが効いているらしく、背中が寒い。布団はどこかに蹴とばしてしまったのだろう。ほんの少し身じろぎすると体を沈めているシーツが湿っていた。続けてどろりと下半身から零れ落ちるものの感触。
ああ、なんの始末もせずそのまま寝てしまったのか。
弟も俺も薬を飲んでいない。心に作用するようなものは、少しタイミングがずれただけですぐに離脱症状が出ることもある。お互い飲まなくては。
顔の前にあった弟の手を何の気なしに触ると、指がぴくりと動いて何かを探すような仕草を見せる。それに応えるように自分の手を滑り込ませると、指の一本ずつをゆっくりと絡めて、そのまま動きを止めた。弟の手はとても暖かい。いや、自分のそれがとてつもなく冷えている。絡めて初めて、その温度差に気がついた。
起きてるなら風呂に行こう、と声をかけようとしたが、音は喉から出なかった。声帯を震わせられず空振りした空気がのどから漏れる。
それは外でベランダの物をひっくり返す強風が鳴らす轟音から芯を抜いたような、変な音だった。
体の様子がおかしいことを伝えようと、つないだ手に少し力を入れる。きゅ、と指を握るとあやすように何度か握り返される。せめて気づいて布団をかけてくれたらいいのだが。
冷え切っているせいか、つないだ手以外の感覚がほとんどない。色々ちぐはぐで、早く内服しなければと、握った手をほどいて手の甲をがりとひっかくと、色味の薄い視界にぼやけた弟の顔が入ってきた。
なんだ、起きていたのか。
「まだ生きてるの?」
不思議そうな顔の弟が、つないでいない方の手で背中を探る。途端に真ん中あたりに熱い痛みが生まれて、ぐりぐりと内臓がかきまぜられた。
ごぼ、と口から何かがこぼれる。
うっすらとしか見えない視界に、鮮明な赤。
少しまえの記憶がぐちゃぐちゃのまま戻ってくる。湿っていると感じた布に染みているのも同じ赤だ。絶頂と同時に背中に尖ったものを突き立てられて、噴き出た俺の血液。
声を出そうとするとまたひゅ、と息だけが吹いて、その空気に押されるようにまた真っ赤な血が喉を通って開きっぱなしの口から出た。
ますます視界が悪くなって、意識が混濁し始める。
残った力を振り絞って弟の顔を見ようとすると、瞼の上に手を乗せられた。
「もういいよ、おやすみ、母さん。」
沈んでいく意識の中で、ギリギリのところでなんとかもっていた弟とのバランスが崩れたことを悟る。
大きなきっかけなんかなくたって、案外急に瓦解するものだな、なんて思いながら、土砂災害警戒情報のアラートを遠くに聞いた。どのみちどちらも避難などできない。
鋭い警告音以外の音はもう聞こえない。体のどこにも力が入らなくなって、弟の手の温度だけを感じながら目を閉じた。
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