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ピ―とけたたましく鳴った電子音とともに、黒くキラキラした魚が泳いでいった。エラ呼吸でないことが不自然なくらい、息継ぎは見えない。流れるようなフォルムで水をかくしなやかな腕。魚なのに鳥のように羽ばたいては進む。足はヒレのように水になじんで。泡の音が聞こえてきそうな臨場感をガラス越しに眺める。圧倒的な速さで泳ぐ黒に、ただ見とれた。
今日はただの記録会だから。と言う弟はもう人間の姿に戻っている。
「すげぇ速かった。」
「そう。」
乾ききっていない髪をそのままに、首にタオルをかけ、荷物を持った弟が出口をくぐる。自動ドアに空気を絶たれてしまわないよう慌てて後を追いかけた。
出口横の自動販売機で弟がアイスを買う。青色の円柱は見た目からして涼しそうだ。
「俺も食べたい。」
「自分で買いなよ。」
「財布忘れたんだよ。」
かわいそうにと言うクセに、さっさと財布をしまった弟は最初のひとくちで半分近くを齧り取った。
「えー後で返すからさー。」
「絶対忘れるでしょ。」
お金のことにルーズな自覚はある。ダメだ俺クズだな。
頭が下を向いたところへ、食べかけの青が差し出された。
「ひとくち。」
いつも思うけど、弟は意地悪なんだか優しいんだかよくわからない。どん底まで落とすこともあるくせに、小さなことで拾い上げてくれることもある。気まぐれだ。それはそうか、魚だもんな。魚の気持ちなぞ、俺にはわからない。
素直に、でも少しだけ遠慮を見せて、小さな口でアイスをかじった。冷たい。あのプールの水が喉から流れ込んでくるような。
「兄さんも泳げばいいのに。」
ああまた俺を突き落とす。
去年から俺はもう泳げない。水の中に、入れなくなってしまった。
「このアイスにつかると思えば案外入れるかもよ。」
おかしなことを言う魚だ。
何も言えなくなった俺に、なくなったアイスを支えていたプラスチックの棒を咥えさせた弟は、全部食べていいよと言った。
残った部分の重みでぐらつくそれを支えようと伸ばした手を、弟が取る。指先に口をつけ、青く染まった舌をちらつかせながら、手のひらをたどる。手首の血管に近いところをべろりと舐められると肩甲骨のあたりがぞわりとした。肌についた唾液をのばすように、人指し指が前腕に線を引き、二の腕の筋肉を盛り上がりに沿ってするりと撫でた。
「兄さんがこの腕で水をかくの、好きだったのにな。魚みたいで。」
息が止まる。
ざんねん、と弟が言ったとき、残りの青がぼとりと、サンダルを履いたむき出しの親指に落ちた。
俺だって、もっと泳ぎたかったよ。
泣き出しそうになった俺の顔に弟が少し開いた口を寄せてくる。陸にあがってしまって息が吸えないから、酸素をもらわなければと、同じように口を開けてぴたりとひっつけた。
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