コビロログ1 - 1/6

この男に言わせれば、おれは「迂闊」らしい。扉を開けたとたん、ふわと香った甘いにおいの中で、コビーはあからさまに焦った顔を見せた。それだけで、ただ燃料を消費させるためだけに呼ばれたような七武海会議の、くさくさした気分は霧散した。胴の離れかけた蟻を見つけたときの、いかにもな顔になっていたことだろう。
「だめですローさん、出てってください」
「つれねぇなぁ。浮気か?」
「ちがいます、ふざけてる場合じゃないんですよ。さっきまで発情期のΩがいたばかりで」
においはそれか。そう部屋を見渡している間に、コビーはガチャガチャと音を立てるなにかを取り出し、しかしうまく扱えず取り落とした。
ちょっと可愛いなと思ってるだけでなんの関係もないこの男がαだとは知っていた。一丁前に、軍支給の口枷をつけようとしているのだと、床に重く落ちたそれを見る。気の毒だな。一歩近づくとコビーが一歩後ずさった。
αはΩの発情期につられて発情する。対してΩは個体ごとの周期によって発情はするがαにつられてということはない。Ωは妊娠出産に特化した身体だ。いちいちαにつられて発情していたのでは、ホルモンバランスの激しい変化とともに身体のつくりかわる妊娠に耐えられないからだと、考えられている。
「お前なんか半人前のイヌだろ」
拾い上げた金属は冷たい。
うろうろと彷徨う若者の視線は本人の意思に反してΩを捕捉してしまうらしく変な形に眉が寄った。不細工で可愛らしい。
「返してください。あなたを噛むわけにいかない」
「ははっ、心配しなくともおれの頸には届かねぇよ」
単純な体格差の話だ。親切に屈んでやるつもりもなかった。冷えた枷を指に引っかけてぶらぶらと弄ぶのを恨めしそうに眺めるコビーはふうふうと荒く息を吐き、鼻頭を赤く染めて、ぎりぎりと歯を食いしばった。そうでもしないと、大きな口を開けてしまうから。憐れな可愛いイヌ。もしここでおれが頸を噛ませてしまえば、未来ある海兵は海賊なぞの番になるのだ。英雄と民に崇められる若者が、たったひとつ、おれだけの男に。
気分がよかった。両手で枷をつまんで、鎖を広げる。
「つけてやるよ」
「なにを言って」
「心配いらねぇ。おれの方が強いからな」
じりじりと迫るとあっという間に壁際に追い詰められた男はなお姿勢を低く縮こまってまでΩのおれから距離を取ろうとした。膝を曲げると簡単に顎が掬えた。涎さえ垂れはじめた口角を手の甲でぬぐってやると、ぐわっと開いた上下の歯列が、おれの第二指と第三指の関節を捕らえた。二本まとめて食いついた顔が左右に振れる。離そうとする理性と離すまいとするα性が真っ向から対立してまさしくイヌのような身震いを起こした。
「ローさ、はなじ、で」
米神を汗が流れ落ちて行った。
それを追って目線を下ろすとかわいそうにスラックスの股間が膨らんでいるのが見えた。Ωはαの発情につられない。ではこの愉快な性欲はなにかといえば、気を寄せている男が勃起していることに対する生物的な衝動だ。尻の穴は濡れないが、自慰で使用するそこは膣のかわりを果たしてもぞりとうごめく。
「ああ、いいなお前。抱いてくれよ」
「いまは、いやです」
睨み上げる目に蓄えられた拒否の熱だけ、一人前の男のもので、できれば今このときの目玉を持ち帰って今夜のおかずにしたかった。
「へぇ、発情してなかったらしてくれるのかよ」
「少なくともわけがわからずするよりは、百倍ましです」
返事ばかりはまだまだガキんちょで、仕方なくおれは力ずくで指を引き抜き枷をはめてやる。ぐるると喉を鳴らしたコビーはわずか安堵の表情を見せたかと思うと、低くしていた姿勢をさらに屈めて一瞬視界から消えたかに見せた。動きを追った先、涎を散らしたイヌが股ぐらに頭を突っ込んでくる。あげていた片膝を持ち上げられ後ろに傾いだ体。コビーの呼吸を浴びてぬるくなった枷が、デニムに固定された陰嚢を二度、三度揺らした。とっさに桃色の髪を掴み上げると、涙の滲んだ真っ直ぐな目が。
「発情していないときに、今度、させてください」
純情を乗せた顔で舌なめずりしてみせたコビーは、反応の遅れたおれに、だから迂闊なのだと、宣った。
(オメガバコビロ)

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