「烏」
夜間に勤めているその看守は「烏」と呼ばれていた。光り物が好きだから、という単純な理由は半分当たっていて半分はずれているらしい。では何故そう呼ばれるようになったのかということについて、興味を持つ囚人などいなかった。
記念硬貨一枚で一夜楽しませてもらえる、檻の中の彼らにとってはそれだけが全てだったからだ。男と寝た夜の数だけ集められたコインは、ファイリングされて詰所の棚に立てられているとか、はたまたワインの空き瓶にまとめて放り込まれているとか、タペストリーの柄に合わせて貼ったものが壁に飾られているとか、どれも大してしっくりこない噂が流れていた。
ユースタス・キッドも何度か世話になったことがあった。「烏」が見回りに来たタイミングで檻の隙間から指に挟んだコインを差し出す。それが、薄暗い監獄の廊下に等間隔で吊るされた明かりを反射すると、彼の看守の目に留まる。そうすると、深めに被った帽子にいつもは隠されている目が現れて金に光るのだ。
看守にも色々な人間がいるが、「烏」ことトラファルガー・ローは言葉というものを話すことがなかった。硬貨を目にすると恍惚とした表情で半開きの口から舌をのぞかせ、「あ」とか「う」とかいった音を出しながら檻に近づいてきて、刺青の入った細く長い指でコインをつまむ。刻まれた文字や絵柄を、表、裏と見分している間に涎が垂れてくる始末で、あれは頭が足りていないのだろうと言われていた。しかしその孔は控えめに言っても最高で、いつでも解されて蕩けており、場末の嬢なぞよりよほど具合がよかった。下手なことをしゃべらないから勝手もよく、外とパイプを持っている囚人は、それぞれが欲求を発散したいタイミングで遠慮なく彼を使っていた。
今夜キッドがコインを使うのは別の目的のためだった。そろそろ潮時だ。外からの連絡にはそろそろ戻れと書かれていたし、獄中でしか作れないコネクションも作ることができていた。新しい仕事が動くとかで、娑婆に戻る必要が生じていた。
記念硬貨を一度に十枚積むと脱獄できる。
それが「烏」に餌をやる最大のメリットと言われていた。いつもは空いている房で行われる行為が詰所に場所を移す。金額が大きいからか、柔らかいベッドで極上の孔を堪能できるうえ、そのまま逃げ出しても見逃されるという。
消灯後、石畳を叩く硬いヒールの音を聞いてキッドは檻の隙間からコインを一枚出した。足音が止まる。少しの沈黙があって、はーはーと獣のような呼吸音が近づいてくる。この一枚は希少価値が高いと聞いているから、間違いなくお眼鏡にはかなうだろう。抜き取られた硬貨と同じ色の目がのぞく。トラファルガーは表面の凸凹を指でなぞり、「あうー」と赤子のような声を何度も出した。指先に突然冷たいものが触れる。檻の外に出したままになっていた手に涎が垂れていた。不快だがいきなり引っ込めて機嫌を損ねると厄介だ。トラファルガーは不機嫌だと癇癪を起こす。そうなると鍵は開けてもらえないし、他の看守が駆けつけるので取引失敗だ。そのまま折檻につながることさえあった。
ぽたりぽたりと唾液をかけられる手をそのままに、キッドは反対の手で残る九枚が入った小袋を差し出した。じゃらと大きく鳴るように振りながら。
初めて入った「烏」の仮眠室は、壊れた時計や破れた地図、ばらけたパールの首飾りなど色々なガラクタが足の踏み場もないほどに置かれていて、お世辞にも綺麗とは言えなかった。あちこちに服が脱ぎ散らかされており、清潔なものとそうでないものの見分けもつかない。そういえば狂っているんだったかと、改めてトラファルガーを見やる。初めて明るいところで目にしたその姿は、へらへらと緩んだ表情を除けば完璧なプロポーションだった。唯一物の置かれていないベッドに腰かけて長い足を放り出し、手のひらにコインを乗せて一つずつ眺めている。時折口に入れて転がし、唾まみれのそれを吐き出して笑った。足元にはキッドたち囚人が毎日身に着ける縞模様の服が山になっていた。ここまで来てしまえば、あとは時間が惜しい。キッドはトラファルガーの手からコインが落ちないよう慎重に看守の帽子を取り、最後の夜を楽しむことにした。
何度絶頂すれば満足するのだろう。濁った音でうーとかあーとか言いながら、トラファルガーは何度も果てた。先の方を切られているらしいペニスはもう透明な涙をこぼすのみなのに、キッドの雄を飲み込んだ孔はまだまだといった様子でそこだけ意思を持っているかのようにうねって絡みついている。シーツにばらまかれた硬貨がベッドの軋むのに合わせてちゃりちゃり揺れる。キッドは息を切らしながら、出したもので泡立つ腹の中へまた射精した。放ったというより、滴ったくらいの感覚だ。もう出ない。組み敷いた体を見下ろせば、何度か派手に跳ねた長い足が突然シーツの上にどさりと落ちた。ぐちゃぐちゃの下腹部は細かく震えているようだが、ネクタイさえ緩めていない上半身はぴくりとも動くことなく、閉じ方を知らないのではないかというくらい唾液垂れ流しの唇も開いたまま固まり、眼球が上天した顔が首ごと寝台の端から落ちそうにはみ出していた。
やっとか。額を流れ落ちる汗が止まらない。全力で走った後のような呼吸を整える努力をしながら、キッドは目的を果たすために敢闘した下半身を取り出そうと腰を引く。
「ん゛ん゛ぁぎ、ぇああ゛っ」
中のものがずれた途端、咆哮を上げたトラファルガーの目がぐるんと戻った。力を失っていたはずの足がキッドの腰に固く巻きつく。
「ぐうっ!な、にしやがるっ!」
思わず振り上げた拳が顔に当たるとぎゃん!と猫のような声を出してトラファルガーが頭を振った。もう萎えて小さくなってきたはずの男根が信じられない強さで締められている。異様な空気を感じてもう一発殴るとトラファルガーの腕がベッドの下にあった囚人服をつかんで振り回した。避けきれず当たったそれは布とは思えぬ重量でごつんとキッドのこめかみを殴打し、振り抜かれた先で中身をばらまいた。じゃらじゃらじゃらとカジノで聞くような音が激しく鳴る。囚人服のポケットというポケットに、記念硬貨が詰められていた。
だらりと垂れる感触と共に赤く塞がれる視界。伸びてきた腕に絡めとられて上体が傾く。一息に間近になった「烏」の顔は愛しいものに向ける表情をしていた。人間とは思えない力で拘束された腰の骨が悲鳴を上げている。
烏は特別光るものが好きだという訳ではない。ほかの鳥類が持たない高い知能ゆえ、存在感のあるものに対して興味を持ちやすく、ちょっかいをかけたくなるのだという。それはお遊びとも言える行動。収集されたコインがどう扱われているのか、本当のことを獄中の人間が知らないのは。
キッドはトラファルガーが「烏」と呼ばれる理由のもう半分に興味がわいた。食いちぎられそうな下半身に血液を巡らせる。大きく開かれた口が鼻っ柱を齧るより先に、掴んだコインをそこへ押し込んだ。
(キドロワンライ「囚人-看守-牢屋」)
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