「ちょっと最近我慢が足りなくない?」
「っ、な、んて…っ?」
朝の支度の途中。右手に歯ブラシをもって歯を磨く弟の左手が、スウェットの上から尻の穴を押し込んでいる。まだ昨日の名残のあるそこは布越しに撫でられただけで、じくじくと奥へ向かって疼いてしまう。
「我慢が、足りない。」
「ちょ、朝っぱらから…っ。」
「先に触ってきたの兄さんでしょ。したいのかと思った。」
触った。確かに先に触った。歯を磨く弟のうしろで順番を待っていたらTシャツの襟ぐりから延びる首になんとなく鼻を寄せてしまったのだ。半分寝ぼけて、すん、と肌の匂いを吸い込んでいたらあっという間に向きを変えられてこの有様。
「しない、しないって。」
「あ、そう。」
熱を持ち始めたそこはあっという間に放り出された。くすぶり始めたものを冷まそうと、大きく息を吐く。
話の続きなんだけど、と弟。
「最近兄さん出すの早くない?」
「えっ、ば、それ…俺のせい?」
「ちょっとは我慢してほしいんだけど。シーツがすぐべたべたになるし。あと安っぽいAVみたいで反応が雑。」
俺の身体を心底邪魔そうに押しのけて弟は口をゆすぐ。
昨夜も散々いかされた。途中から何も出なくなって、体中の水分を出し尽くしたようになって、喉はからからだった。後で飲んだコップ1杯の水がどれほど染みたか。
でもそれ俺のせいかな。そんなになるまでやらなきゃいいだけの話じゃないの。雑ってなんだよ雑って。失礼すぎない?だいたいお前が遅ろ……。
そこで振り向いた弟と目が合う。こういう時の洞察力はすごい。きっと何を考えていたか全部バレている。口に出していないのに。
「だから、我慢する練習しようね。」
「え?は?」
「何か考えとくから。」
兄さんも考えておいて、と吐き捨てて、弟は洗面所を出て行った。
これまでの経験から、一体どんなエグいプレイを考えてくるのかと、鳥肌が立つ。2学期が始まったとはいえまだまだ続く連日の厳しい残暑。べったりと空気が肌にはりつくような暑さなのに身体の芯が冷えるのは、エアコンのせいじゃない。
何ひとつ自分に非があるようには思えないのに、そう言い返すことも恐ろしくて、気持ちを切り替えるために歯ブラシを取った。
それが火曜の朝の出来事だった。
夜。
お互い仕事から帰って夕飯と風呂をすませて。どうせ今日もされるんだろうと後ろの準備もした。教職の俺は明日も平常通りだけど、不動産に勤めている弟は水曜休みだ。朝の感じからしてしつこくされる気がしてならない。どんなプレイが待ち受けているのかとベッドに上がった俺に向けられたのは、スマホの画面。
ものすごく間抜けな顔をしたと思う。いかにもリゾートって感じの、南国っぽい葉っぱのイラストに囲まれた中心の文字は『ポリネシアンセックス』。すぐ下に添えられた、男女がむつみあうイメージ画像に馬鹿にされているような気がする。
「これ、やってみない?」
と言う弟の顔は、いたって普段通りで、画面と釣り合っていない。そんな、珈琲飲んどく、みたいなノリで聞くようなことなのか、これ。
圧に押されて画面をスクロールする。そこには5日間かけてゆっくり行うセックスであること、1~4日目まではいわゆる前戯のようなものだけで、最終日まで挿入はなしであること、などが書かれていた。
頭がくらくらする。これはつまり、5日間壮絶な焦らし大会が行われる、という解釈で合ってるか。
「こんなんで練習になるのかよ。」
「だって4日目まで絶頂禁止だし。」
絶頂禁止。
聞き捨てならない四字熟語に閉口する。弟はいつだって本気だ。いっさい冗談なんかじゃない。何も言い返す言葉が見つからなくて弟の顔をぽかんとしたまま見つめる。
「その代わり、最終日、何回いってもいいから。」
少しだけ口角を上げて、弟が俺の顔を撫でた。それだけでぞわぞわと戦慄が走る。まだやると返事をしていないのに、待たされたあとの壮絶な褒美を想像してしまっている。いつから俺はこんなだらしない身体になってしまったんだろう。
当然拒否権などない。このどこまでも純粋な興味に付き合わされて、俺はこれから5日間の耐久レースに挑むしかないのだ。
「じゃあ始めるよ。脱いで。」
やってみないかと聞いたくせに当然のように返事を待ってくれない弟が、俺の服に手をかけた。寝間着代わりのタンクトップはあっという間に取り去られる。下も、と促されて下着とスウェットも脱ぎ捨てた。
「最初は全裸で見つめ合う、だって。」
自分も全部脱ぎ捨てた弟が正面に座る。じっと、その目線がこちらに固定された。頭のてっぺんから前髪のあたりへゆっくりと移動する目。毛の一本一本を梳くように、視線が髪に絡まる。それは眉毛のあたりで右にずれ、肩のあたりまで伸びた毛先の方へ、毛の流れに沿って下降していく。
じわ、と地肌が熱を持つ。ただ見られている、それだけ。
なのに毛根まで届きそうな鋭い視線にさらされて、緊張感が高まる。
慌てて自分の目線を弟に向ける。見られることばかりを意識していてはたまらない。
兄弟なのに自分とは質の違う黒い髪。風呂上り、ドライヤーもあてずそのままにされたそれは、ところどころハネている。迂闊に顔へと目線をすべらせると、同じ赤目とかち合ってしまった。
何か茶化した言葉でもかけてくれればいいのに、一言も発することなく鋭い目だけが向けられる。
「こ、っれどのくらい、やるんだよ?」
いたたまれなくなって口を開くと、まだもう少し、と返された。仕方がないので口をつぐんで、また視神経に集中する。
鏡を見るような、自分と同じ形の鼻筋をたどり、くちびるのやわらかそうな凸凹を通り過ぎて、喉仏のとがった山をのぼっておりる。弟が気持ちいいときにごくりと唾を飲み込むと動く、そのパーツ。さらに下って視線を鎖骨の窪みで留める。
目頭が熱い。つられて頭の中にも火がつく。見るってこんなに体温があがるような行為だったっけ。瞬きがちゃんとできていないのか、乾いている気がした。
目をしばたいて視線を下げる。
雑に投げ出された足の間にある弟のものが視界に入ってしまって慌ててそらした。当然ながらまだ兆していないそれは、来る時に備えて堂々と頭を寝かせているように見える。
一方自分はと目線を移せば、すでに緩く芯を持っていた。なんでだ。まだどこにも触っていないのに。
一気に恥ずかしくなって弟の表情をうかがうとまた目が合う。あっちを見てもこっちを見てもむずがゆいばかり。
「まさかもう欲しいの。」
「ち、ちげーよ。」
「兄さん肌きれい。盛り上がった胸筋も、へこんだ臍も、すべすべでやわらかくて触り心地よさそう。」
「や、め…ろ…」
急にしゃべり始めた弟に戸惑う。臍がくしゃりとはにかんで腹筋が引っ込んだ。そっと、そこへ伸びてくる弟の手。臍のまわりをくるりと撫でられて、体が大袈裟に跳ねる。
「触んの?」
「少しだけ、ね。」
臍をくすぐった弟の指がみぞおちに線を引き、胸の中心を通りすぎて俺の顎を取る。じゃれるような触り方に羞恥心を煽られ、いつもとは違う意味で心臓がばくばくとうるさい。
このままでは茹で蛸にされてしまいそうで、振り払うように身を乗り出して、膝をついて跨がった。
「キスは?」
「いいんじゃない?」
お互い顔を包んで引き寄せる。鼻をすり寄せ、頬を舐めた。産毛を舌がなぞるとぞくぞくする。距離が詰まった上半身が触れそうで触れない。でも確実に体温と拍動がすぐ近くに感じられて、皮膚が熱い。
弟が薄く口を開いた。上下の歯の間から赤く蠢くものがちらと見えて、湧き出た唾液と一緒に舌を突っ込んだ。
さっき観察したばかりの唇の膨らみが、自分のそこをやわらかく食む。視覚と触覚が合わさって、絡んだ舌の映像が妙にはっきり頭に思い描かれる。
「…っ、やば、くち、きもちい、」
「そう。」
一度口を離した弟が俺の鼻をつまんだ。息を吸おうと大きく開けたところに反対の手を入れられ、上あごの奥を指で撫でられる。嘔吐くぎりぎり手前のところをざらざらとくすぐられて、脳の下側を触られているような錯覚。
「あぐ、ほえ、や…」
「やじゃないでしょ。」
後ろ首がびくびく震える。いつも弟のものを咥えるときに亀頭で突っつかれる部位。喉が勝手に開いたり閉じたりして性器になる。目を閉じると、昨夜突っ込まれた時の青臭さが蘇って、飲み込めない涎が弟の手を伝っていった。
手を引っこ抜かれて薄く目を開ける。弟が手首に流れた唾をべろりと舐め取った。目に映った光景すべてが下半身を刺激して、もうとっくに腹につくほど起ちあがっている。弟のものも先ほどとは違って獲物を狙うように頭を上げていた。
「なぁ、舐めていい?」
「今日はだめ。」
「舐めたい。」
「それはまたね。今日はこれだけ。」
しなだれて額をひっつけて、相手が弟じゃなかったら一発で堕ちる角度で強請ってみたけど、ぴしりと制止された。歯を食いしばると唸るような低い声が出てしまって、待てをされたペットみたいだ。
じゃあ、あと少しだけ、と弟が手を伸ばす。まだ唾液をまとったままの指が耳の穴にずぶと入る。
「うあっ」
「耳、好きでしょ。」
反対側の耳も埋められ、両側から中を抉られて脳が泡立つ。その指でぐいと顔の角度を変えられると弟のべろが見えて、視界がそれでいっぱいになる。
ざり。
「っっ!て…」
白目にびたりと濡れた感触。信じられないことに弟が目ん玉を舐めていた。常に表にさらされているのに他者に触られることなどない粘膜を、ゆっくりと舌でたどられる。少しでも強く押されようものなら丸い眼球がつぶれてしまう恐怖。前に食べた魚の目玉を思い出す。周りのゼラチン状のどろどろと一緒に口に入れたそれを舌の上でコロコロと転がした記憶。今弟がずるりと吸ったら自分の目がそうなる番だ。眼窩から目玉がずぼんと抜けて熱い口の中でぷちっと潰されたらどんな味がするんだろう。
おかしな妄想が膨らんでしまうのは、耳を塞がれて思考が研ぎ澄まされているからか。
痛いのと怖いのと愉悦、そして次々と浮かぶ幻覚に近い映像。色んなものがないまぜになって、声も出せずに弟の腕を握りしめる。
「ぅ、っ、っ…っ!」
ぐるぐるとまざった感覚が腹の底に溜まっていく。もういやだ、どこかを解放してほしい。
ピピピピピピ……。
塞がれた鼓膜の向こうから、薄く電子音が響いて、途端に全てが取り上げられた。
ぱん、と両頬を勢いよく挟まれてそれまでの空気が引きちぎられる。
「え?」
「はい、おしまい。」
片方がにじむ視界の中、口の端をべろりと舐めた舌は持ち主の口内に帰っていった。
いったい何をやっていたんだっけ。上手く現実に戻れず戸惑う俺をよそに、さっさとベッドを下りて服を着始める弟。ああそうか、ポリネシアンセックス。今日は初日だから。
「ほんとにやめんの?こんななのに?」
お互いの股間を交互に見てかわいそうになってしまう。
でも弟は涼しい顔でその暴力的な膨らみを下着の中にしまった。
「やめる。そういうルールだから、これ。」
口をゆすいでくる、と弟が寝室を出た後、取り残された俺の身体は、広いベッドの真ん中でまだ湯気を立ち上らせていた。
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