あめ玉

それは物心ついた頃から家にいた。

玄関の扉はくぐれるけど、家の中の扉は頭を屈めないと通れないくらい大きかった。お父さんやお母さんと同じように手と足がついていて、どちらかというとちょっとだけお父さんに似た形をしていた。首の上には僕が知っているどんな生き物よりも綺麗な顔が乗っかっていた。赤い目がついていて、左の方だけ花みたいな模様が描いてあった。頭にはふさふさの、白っぽくて柔らかい髪が生えていた。

僕にはきょうだいがいなかったから、ひとりで留守番をするようなときは一緒にいてくれた。鳴いたりしゃべったりしないし、おやつもご飯も食べないから、生き物かそうじゃないのかはわからなかった。

お父さんとお母さんが「てんげん」と呼んでいたから僕もそう呼んだ。時々ちょっと笑うくらいで、あとは静かな顔ばかりしていて、人形のようにも見えた。

きれいなてんげんを自慢したくて友だちに話したら、うちにもいるよと言われた。どこの家にもいるらしかった。

お父さんが事故で死んでしまった家には、生きていた時のお父さんの服を着て髪の色と形を同じにした、お父さんもどきの、てんげんがいた。目が赤いのとあの模様があるから、家族もどきでもすぐにわかった。もどきだとわかっていないのか、その家のお母さんは「お父さんお父さん」と仲良くしているみたいだった。子どものいない家で、子どももどきをしているてんげんもいた。

うちの両親は仲が悪くてよく喧嘩していた。物が飛んだりどちらかが殴ったりした日は、寝るときにお母さんがてんげんを寝室に連れて行った。そういう日は僕も怖くて寂しくて本当はてんげんと寝たかったのに、仕方がないからひとりで丸くなって眠った。頭の上まですっぽり布団をかぶっていても、お母さんの部屋の方から聞こえてくる猫の鳴き声みたいな音が大嫌いだった。

お父さんがてんげんを連れて寝ると、次の日てんげんのどこかが壊れていた。鼻の下から血を流していたり、指が変な方向に曲がっていたり。見た目は痛そうだったけど、てんげんはなにも言わなくて痛みは感じていないみたいだった。

体の一部が壊れると、その日のうちにてんげんは姿を消した。翌朝戻ってくると全身きれいに直っていたから、修理とかそういうのがあるのかもしれなかった。

修理、という感覚は妙にしっくりきて、だから生き物という響きはいまいちピンとこなかった。だけど同じ向きにそろった指をそっと握るとほんのりあたたかくて穏やかな気持ちになれた。

 

ある日振替休日で家にいた僕は、右の手首が曲がったてんげんが朝玄関を出ていくのを見送って、なんとなく、ついて行ってみた。

てんげんはまっすぐ前を見たまま近所のスーパーの前を過ぎ、学校の横を過ぎ、駅を少し過ぎたところに停まっていたバスに乗り込んだ。観光バスみたいな大きなバスだった。うちのてんげんだけじゃなく、足が変な方向にまがったてんげんや、顔から血を流しているてんげんが何体かやってきて同じように乗り込んだ。そっと覗いてみたら、運転手もてんげんで、前しか見てなかったから、ほかのてんげんの間に並んで静かに乗ってみたら特に咎められたりしなかったからそのまま席に座った。

乗り込むてんげんがいなくなってしばらく静かになったら、何の放送もなく扉が閉まり、バスは進み始めた。窓には何か貼ってあるのか外は全然見えなかった。

 

どのくらいたったのかわからないけど、うつらうつらし始めたところでバスは停まった。ずらずらとおりてゆくてんげんにまざって一緒におりた所は、何かの工場のようなところだった。門もそれに続く道路も、壁もフェンスも生えている草も木も花も全部の色が白いそこは、吹いてくる風も白いように感じるくらい不思議な場所だった。

そこで働いている人たちはみんなてんげんの顔をしていて、ただ前だけを向いて自分の職務に取り組んでいるようだった。流れに身を任せてついていくと突き抜けるくらい天井が高くて、体育館みたいな広さの真っ白なフロアに出た。ベルトコンベアーみたいな機械が張り巡らされていて、椅子や机が間に所狭しと並べられていた。ベルトの上を流れているのは手や足、耳、目…全部てんげんのパーツだった。

椅子に座っているのは身体のどこかが欠損したてんげんたちで、白衣を着た他のてんげんが、壊れたところを新しいパーツに取り換えているようだった。

うちのてんげんはもうまぎれてどこにいるのかわからなかった。たぶんあの中のどこかで、右の手首を直してもらうんだろうと思った。

体育館の壁に扉がいっぱいついていて、どれに入ろうか悩んで、適当に一番端のをくぐった。

白くまっすぐな廊下を進むとまた扉があってそこは小さな部屋だった。真ん中に大きなテーブルのようなのがあって、だれかがその前に立っていた。その人だけ、頭のてっぺんからかかとまで真っ黒で、てんげんとちがって黒い髪がついていた。後ろ姿ごしに、テーブルの上にあおむけに寝そべっているたぶんてんげんの足が見えていた。

黒い人がこちらを見た。ここに来て初めて目が合った生き物だった。びっくりするくらい、てんげんと同じ顔をしていて、目の色も同じ、赤だった。

「まぎれて来たのかな。夕方には帰りなよ。」

そう言って黒い人は僕の横を通り過ぎて、部屋を出て行ってしまった。怒られているような感じではなかったけど、歓迎されているような風でもなかった。

僕は静かにテーブルに近づいてみた。やっぱりてんげんが眠っていた。その口には、ホースみたいなものが突っ込んであって、保健室でガーゼに貼ってもらうようなテープでとめてあった。

きれいな目を閉じて眠っているようにも見えたけど、少し汗ばんでいて、顔も少し苦しそうにしていて、もしかしたら口に入っているこれのせいかなと思った。

いつもの顔で笑ってほしいなと思って、ピリピリとテープをはがし、口のホースを抜いてみた。

「げ、げぇっ!!げほっげほ、げ、ぇぇ、げほっ!!」

ものすごい勢いで咳き込み始めて、僕はあわてた。つばと鼻水をとばしながら仰向けでごほごほと、空気を吐きたいのか吸いたいのか、魚みたいに大きく開けた口をぱくぱくさせていた。

焦ってホースを口の中に戻したけど、それでも咳は止まらなかった。どうしよう、どうしよう。どうしていいかわからなくて、とにかくこの続く咳を止めなくてはとそれだけ思って、僕はてんげんの首を両手でつかんで懇親の力をこめて握った。

そうしたら少し咳が小さくなって、ほっとした僕はますます手に力を入れた。だんだん咳が少なくなって、体がびくびく震えて、そしていつもの顔になって、てんげんはとまった。

僕はとても安心して手を離した。

髪をなでてあげようと思って手を伸ばしたら、ばちっ!と目が開いた。今までに見たことがないくらい大きく開いたそれは、それでなくても赤いのに、血走ってぎょろりと僕を見た。

急に怖くなって僕は走って逃げた。廊下を走って体育館の隙間をぬって走って、バスを降りて歩いた白い道路を全速力で走って戻った。

門のところまで戻ると乗ってきたバスが待っていて、無我夢中で乗り込んだ。

「家に帰ります!!」

それだけ言うと、僕しか乗せていないそのバスは出発した。

席に座ってもあの目玉が焼き付いて離れなくて、走りすぎたからか呼吸がずっと荒くてはーはーといっていた。

 

翌朝帰ってきたうちのてんげんは、しゃべるようになった。

お母さんが泣いて死にたいと言った時は「そうだね、死んだ方がいいね。」と言うようになった。お父さんがてんげんを殴った時は「もうみんなだめだね。」と言っていた。2、3日すると何もしていないときでもぶつぶつとしゃべるようになった。

「こんなはずじゃなかったのにね。」

「がんばってもいいことひとつもないな。」

口からこぼれてくる言葉はどれも聞いてて気持ちが沈んでいくものばかりで、僕はてんげんと一緒にいるのがだんだん嫌になってしまった。お父さんとお母さんもおんなじみたいだった。

友だちの家も同じようになった。お父さんもどきのてんげんも、子どももどきのてんげんもみんなみんな赤い目を暗くしてぼそぼそと怖いことをいっぱい言うようになった。

 

次の月曜日、燃えるごみの日に、お父さんもどきのてんげんがごみ捨て場に出されていた。それを見てお母さんが、なんにも言わずにてんげんを出した。隣の家のお母さん、その向こうの家のおばあちゃん、反対側の家のお父さんもみんなてんげんを連れてごみ捨て場に向かった。

 

学校に向かう途中のごみ捨て場ごとに、たくさんのてんげんが出されていた。八時半をすぎると、地面を震わせるエンジン音とともに収集車がやって来た。僕は車道をはさんで反対側に突っ立って、ただただそれを見た。

ごうんごうんと音を立てる収集車の後ろ扉が大きな口のように開いて、回転板が見えた。運転席と助手席から降りてきたのはあの全身真っ黒のてんげんによく似た人間で、集められたてんげんを軽々と抱えてその中へ押し込んだ。

ばりばり、ごりっ、ばき、ごきっ。

やわらかいものとかたいものが同時にくだかれる気味の悪い音がして、次々とてんげんが回転板の中に飲み込まれていった。

黒い人間は、飛び散る血のような液体にも顔色ひとつ変えず、ひたすらにたくさんのてんげんを収集していた。

僕は目が離せなくて、ずっとずっとそれを見ていた。

最後の一体が飲み込まれた時、丸いものがびしゃりとはじけとんで僕の足元に落ちた。

赤い赤い、てんげんの目玉だった。

僕はそれを拾い上げて、そっと口の中に入れて転がした。なんの味もしなくて、がっかりして、僕はそれを丸ごと飲み込んだ。

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